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活動報告

2014.03.01

ラグビーワールドカップ2019釜石誘致応援タウンミーティング レポート

2014年3月1日(土)に釜石市鵜住居「絆ハウス」(ラグビーカフェクレストの2F)にて行われた、「ラグビーワールドカップ2019釜石誘致タウンミーティング」のレポートです。

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主催:ラグビーワールドカップ2019検討協議会
協力:鵜住居まちづくり協議会、鵜住居地域会議
運営:ラグビーカフェ・クレスト鵜住居
参加人数:約50名、取材陣、関係者含めた来場者総数約70名
進行表:
10:00 開場
10:30 開会
10:38 ゲスト講演 松瀬学氏
11:10 グループディスカッション
11:45 パネルトーク
12:30 閉会

司会進行…浜登寿雄氏
 (冒頭コメント略)
松瀬学さんにお話いただく前に、プロフィールをご紹介させていただきます。松瀬学さんは、1960年長崎県生まれ。1979年福岡県立修猷館高校卒業。1983年早稲田大学卒業後、共同通信社入社されました。早稲田大学時代は不動の1番、プロップとして活躍されてました。松瀬さんがスクラム組んでいたおかげで、同期の本城さん、吉野さんといったスターが生まれたといわれます。そして、共同通信では一貫してスポーツ畑を歩み、プロ野球、大相撲などの担当を経て、JOC、IOCなどをカバーされ、メガスポーツイベントあるところに松瀬あり、と、今も世界的に活躍されておられます。1996年から4年間のニューヨーク勤務をへて、2002年1月に共同通信社を退社されてノンフィクションライターになられました。

 著書にミズノスポーツライター賞を受賞されたドーピングの実態を暴いた『汚れた金メダル』、震災直後の釜石を訪ねられた経験をもとに私たちを励ましてくれた『負げねっすよ、釜石』、その他、女子ラグビー、女子ソフトボール、野球、競輪と、さまざまなジャンルの著書もあり、雑誌やWEBでも書かれています。
 それでは、松瀬学さん、どうぞよろしくお願いします。

 

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ゲスト講演…松瀬学氏
 おはようございます。松瀬といいます。ご紹介ありがとうございました。一点だけ、不動の1番とありましたが、不動の1番は石山次郎さんで、私は3番です。プロップでも1番と3番は大きく違います。どちらかというと3番の方がしんどいんじゃないか、と思っております。

 年明けて、明けたと思ったら3月。3月11日で、3年。あっという間ですよね。

 釜石には30年前から来さしてもらってました。震災後、2週間後に釜石に取材に来て、いろんな人達に話を聞いて、なんとか取材ができました。勢いにのって本まで書いてしまいました。
そして今日も3年がたち、皆さんに話を聞きたいと取材に伺ったところ、ここで話をさせてもらうことになりました。

ソチオリンピックご覧になった方、どのくらいいらっしゃいますか? (会場、大勢が挙手)
そう、おもしろいんですよね。やっぱりオリンピック、何かやっぱり、元気が出る。これがスポーツの力だと。
スポーツの力とはなんぞや。僕は30年間、いろんなスポーツイベントを取材してきました。88年のソウルからオリンピックも毎回取材してます。生きる力ですね、スポーツの力って。人間の力だと思います。
この絵はソチから帰ってきたときの会見です。まん中にいるのが羽生選手です。19歳で金メダルです。何がすごいといって、金メダルとったことで半分しか満足してない、半分は後悔しているんです。すごい向上心です。
そして下村文部科学大臣の前でも、何か必要なものありますか、と聞かれたときに、スポーツリンクがほしい、と言った。すばらしいです。僕だったら、何もありませんと言って帰ってきます。それが、はっきりと言う。
その隣は、平野選手。15歳銀メダルです。すばらしいです。しっかりしている。
なんでこんなにしっかりしているかと思ったら、4年前のバンクーバーのとき、国母選手がひんしゅくを買いましたよね。スノーボードのスタイルは、ああなんです、実は。でも、ああしてひんしゅくをかって、スノーボードは、スキー連盟は、メディアトレーニングを合宿でもきっちりやってるんです。選手同士を、記者役と選手役にして、きっちり練習した。それで今回のオリンピックは、きっちりした選手ばかりだった。
下におられる橋本聖子団長に話を聞いたら、今回の選手団には規律、人間力なくして競技力向上はない、とおっしゃった。競技力向上のためには人間力が必要だと。それで、僕は、釜石なくして2019年のラグビーワールドカップはない、と、こう思っているんです。

ワールドカップ、オリンピック。一緒ですよ。ぜひ釜石でやってもらいたい。先ほど浜登さんの話で、お金の話も出ましたが、正直いって、僕にはお金はない。でも応援はします。
東京オリンピック、オリンピックのパワーを感じます。これはブエノスアイレスで東京オリンピックが決定したときの写真です。去年の9月7日、僕はブエノスアイレスに行きました。これが決まったことで、日本全国、スポーツの力が上向いてますよね。
やっぱりスポーツってすごいんだって。これがあっての今回のソチオリンピック、連動してますよね。これが続いていくんです。
大きく今、スポーツの構造が変わろうとしている。震災があった年、2011年にスポーツ基本法ができました。その後にオリンピックが決まった。東京オリンピック、パラリンピックが決まった。それで来年、スポーツ庁が、おそらくできます。
その決まった瞬間。うれしそうですよね。

どうですか皆さん、東京オリンピック、パラリンピックが決まったとき、うれしかったという人は?(数名挙手)じゃ、それどころじゃない、うれしくなかったという人は?(数名挙手)そうですよね、それが普通です。それが民主主義の世の中です。でも、少しずつ応援して、オリンピックにせよ、ワールドカップにせよ、参加いただきたい。それだけの力があると、僕は思っております。
裏舞台の話は、なぜ「東京オリンピックは決まったのか」という本に書きましたので、ご関心のある方はお読みください。

で、決まった時のフレーズが、「お・も・て・な・し」ですよね。今日は、これをキーワードに話をさせていただきます。
「お」は、おらがまちの誇り、なんです。僕は、釜石のラグビーが誇りでした。僕の、釜石との、ラグビーとのつながりをちょっと説明させていただきますと、中学生のころ、ウエールズ代表が来ました。むちゃくちゃ強かった。1975年です。うわーすごいな、となぜか感動して、それまでバレーボールをしてたんですが、ラグビーを始めました。
で、しばらくすると、修猷館高校でラグビーをしてたころ、ウエールズと似たような真っ赤なジャージの強いチームが登場しました。これが素敵なんですね。自由な感じでラグビーをしているチームがありました。それが、皆さんご存知の新日鐵釜石。今日、氏家さんもいらっしゃってますが。
僕のアイドルは、松尾さんでなく、森さんでもなく、氏家さんも、でしたけど、でも、なぜか、洞口さん、石山さん、ああいう渋い人に憧れたんです。
なぜかというと、あの頃、プロップはボールを持っちゃ怒られるんです。でも、釜石の洞口さんは、ボールを持ってパスされるんです。柔らかいパスです。ああ、こういうのもありなんだな、と思いました。さっき入口にある洞口さんがつくったスクラムマシーン、組みました。革靴だったんで滑りました。洞口さんは僕のヒーローでした。そうして釜石が好きになりました。

で、早稲田大学の3年生のときに新日鐵釜石が早稲田の東伏見のグランドに来ました。で練習試合をさせてもらって、スクラムを組ませてもらって、僕は石山さんと組んだ記憶が宝物ですね。
そういったものが誇りなんです。僕は2019年のラグビーワールドカップのシンボルはここだと思ってます。

それくらい釜石を、みんな、もっと自慢してくださいよ。たとえば、新宿や上野の飲み屋にいって、僕は博多だといえば、ああ辛子めんたいの博多、ラーメンの博多って言われる。釜石だといえば、ああラグビーの釜石となる。まずなる。それくらい、おそらく、みんなの心に刻まれていると思うんです。
そして震災の後、釜石でワールドカップをやりたいという話を聞いて、僕は、そのとき笑いました。えらい怒られました。3年前です。それが今は、夢でないですから。どんどんそうなっている。

ワールドカップはおもしろい。サッカーもおもしろいですが、ラグビーは。僕は第1回から全部行って取材してますが、1987年からずっとカバーしてます。オリンピックもカバーしてますが、おもしろい。世界の三大ビッグイベントはおもしろい。なぜかというと世界から人が来るから。
オリンピックとワールドカップの違いというのは、オリンピックというのは一つの都市でやります。ワールドカップは国全体でやりますね。どういうことかと言うと、国全体でおもてなし、というのはワールドカップなんですね。
で、期間。オリンピックは2週間ちょい、16日です。ラグビーのワールドカップ、6週間です。1ヶ月半、2ヶ月近くやるんです。世界中でテレビで見る視聴者は約40億人、ラグビーのワールドカップです。オリンピックは50億と言われてますが、これはわからない。期間が短いですから。
僕は両方、顔出していて、大きな違いは、まちの人と触れ合う機会は、ワールドカップの方が断然多いです。オリンピックは忙しい。毎日毎日、いろんな競技があって。でも、ラグビーのワールドカップは日があります。その間に、いろんなところに行ったり、いろんな人と交流できる。
どういうことかと言うと、ワールドカップというのは、ボランティア、地元の人たち、その土地柄、そういう文化というものが、非常に影響を与えるんですね。そういった意味では、日本でラグビーのワールドカップをやる、釜石でやる。ぜひ、世界中の人たちに、釜石の文化、日本の文化を知ってもらう。ワールドカップっていいな、と思っております。
これは前回のニュージーランドのワールドカップ、これはロンドンオリンピックの開会式。その下はワールドカップの開会式のあとの試合、ニュージーランドのウオークライですね。この写真は、自分で撮ったんですけど、おもしろかったから。ワールドカップって、こういうのあるんですよね。こうやって場が和らいでいる。印象として、僕は、オリンピックも好きだけど、ワールドカップがおもしろいな、と思ってます。
で、ワールドカップ、どうしたら成功するの。もちろんオリンピックもいっしょですが、その国の代表が活躍すること、これが一番。ソチオリンピックだって日本選手が活躍しなけりゃおもしくない。日本チームが強くなけりゃ。ラグビーのワールドカップも、いろいろ言われてますが、ジャパンが強くなけりゃ、おもしろくない。ジャパンが勝たないとだめだ。

で、釜石の魅力、チームワークが大事です。釜石でやるためには、これはもう、シーウエイブスが強くなけりゃ困るんですね。もっともっとがんばってほしい。そう僕は、桜庭さんにお願いしたいんです。大丈夫ですよね。今年トップリーグ。(桜庭氏「大丈夫です」)
今、流れがある。東京オリンピックに向かって流れがあります。この流れだと、シーウエイブスをトップリーグに上がってワールドカップだと、普通の神様のお考えだと。こういう流れでいって、みんなが盛り上がって、いいなあ、と。
楽しいですよ。ワールドカップは。僕は、ずっと行ってますけど、これはネイピアという町。ジャパンが試合しました。カナダ戦かな、最後の。マクレーンスタジアムというところです。遠くに見えるのが海です。ここにスタジアムをつくられると聞いた。なんか似てるんじゃないかと。遠くに海が見える。

で、ネイピアは前回のワールドカップの会場になりましたけども、ティッシュペーパーのネピアってありますよね。あれの工場があるところです。で、このスタジアム、素敵でしたね。僕は、ニュージーランドで取材をして、オークランド、ウェリントン、いろんな町に行きました。一番、心に残ったのがこの町、ネイピア。なんかいいなあ、と思う。何がよかったかと言うと、地元の人たちがよかった。飯食ってもおいしかったし、お酒もおいしかったし。ここはワインの産地です。お酒の好きな方にはいい町でした。ネイピアは。
このスタジアム、海から見える解放感があって、キャパは1万ちょいです。で仮設スタジアムで1万5千くらい、そんなにたいしたことない。
試合が終わった後、あまりにも気にいったんで、試合もないのにネイピアに行きました。リピーターなんですよね。試合の前後に人が来る。終わった後も人が来る。おそらくここ釜石でやれば、やってくるんです。リピーターが。そういったことを考えた街づくりを、ぜひお願いしたいんです。
どうしても、ネイピアと釜石がだぶってしまって、釜石はネイピアなんだと。ああいう町になるのは、日本でもいろんなところでやるんですが、釜石じゃないかな、という気がするんです。

大事なのは何を残すか、いわゆるレガシーです。ワールドカップをやります。大会が5年後にやってきます。国体、2016年に来ます。国体をやる、ワールドカップをやる、そして東京オリンピック、パラリンピックが2020年、6年後です。
これは、そのときだけじゃないんですよ。そのあと、10年、20年、30年続く、何かを残すんですよね。これがレガシーだと、僕は思っているんですけど、その最大のチャンスがやってまいります。ここでワールドカップを開いていただいて、オリンピックも当然絡んでいただいて、いろんな形でみんなが元気になって、子どもたちに、誇りを。いやあ、「僕は釜石なんですよ」という。今、小さい子どもたちが、県外に出て、東京行って、九州行って、胸をはって言える、そういった街づくりをお願いしたい。そのためにはどうするか、というのは、当然、皆さんご自身が決めることです。僕は、そういう町になるポテンシャルが、可能性がこの町にある、と、そう信じております。

先ほどの、これネイピアですが、ワールドカップのときにはボランティアが330人でした。で、話を聞いた。で、何がいいかというと、やっぱり一つの目標ができるということ、これはやっぱり町にとって大きいと。そして世代をこえたきずな、子どもたち、ご年配の方、みんなが一つの目標に向かって、これから4年、5年、まあお祭り前ですよね、お祭りを成功させようぜと、ひとつになる。そして、そのレガシーというものが残っていくわけです。こういったものが、ワールドカップを開いた町、ネイピアの人たち、ボランティアの人たちのご意見でした。

そしてこの写真は、ワイナリークラブです。写真を撮っているのは私です。レンタカーの運転手が僕でした。試合の合間にワイナリーを巡るツアーもあります。
運転手でワイン飲めなかったので、憎らしいから、もう一回行きました。決勝トーナメントが始まる前に、もう一度、行って、ひとりでワイナリーツアーに参加しました。マイクロバスに乗って、ワインも飲みまくりました。そのときにツアーの地元の人たちに話を聞きました。ワールドカップ開いたメリットはなんでしょうか、と。メリット、何ですか。経済的な効果など、もろもろあるだろうと。そう思ったら、一言でしたね。Togetherです。みんなでいっしょだ。これは大きい。地域の人たちが、Together、いっしょになる。海外、人がいっしょになる。各国の文化が集まってくる、そしてひとつになる。それがメリットだと。
オリンピック、パラリンピック、東京にやってくる。これに絡みたいという人、いますか?どう絡みたいですか。(人の集まる所として、と、回答あり)
オリンピック、パラリンピックは、日本がやるオリンピック、パラリンピックです。みんなが絡む。絡んで当然なんですよね。おもしろい。こんなおもしろいものを東京だけに任せておけないですよ。

で、いろんな絡み方がある。ボランティアで東京行ってもいいですよ。典型的なのはキャンプ地。北京の前も、25カ国が日本でキャンプしたんですよ。東京オリンピック、パラリンピックの前もキャンプがあります。で、2019年、ここでラグビーワールドカップがあります。スタジアムができます。それで2020年のオリンピック、パラリンピックのときに、ここで開会式のパブリックビューイングをやる。で、開会式が無いのがさびしいので、みんなで行進すればいいんですよね。映像見ながら。なんかおもしろいでしょ。なんかウキウキしません。
いろんな絡み方があるんです。東京オリンピック、パラリンピックはぜひ絡んでください。お金が動きますけどね。あんなのは、金もうけするやつは、勝手にやってください、と。人間的に豊かになるチャンスがオリンピック、パラリンピック。これは国体も然りです。で、ラグビーのワールドカップ。また、いろんなイベントが来ますよ。そういったものを、この釜石に絡めて、発信していくというね。こういうのが僕の期待です。

で、はっきりいって、オリンピック、パラリンピックの国民的課題は、震災からの復興です。これはこの一点です。国際的な課題は世界平和でしょうが、国内的な課題は、震災からの復興なくして、東京オリンピック、パラリンピックの成功はないと思います。
ぜひ、この震災からの復興のシンボルに、釜石になってほしいんです。ラグビーワールドカップのシンボルはここです。釜石です。
みなさん、辛いこと、いっぱいあると思うんですけど、僕は、震災直後、やってきたときの、あのときの外国の方、オーストラリアのスコット・ファーディ、ニュージーランドオールブラックスのピタ・アラティニが、一緒になって荷物を運んでましたよね。あの姿が、僕は、スポーツ、きずなだと。ああやってみんなが立ち上がって今日がある、と思います。これがTogether。
そういう震災からの復興、外国の方がしたことを発信する。おそらくオリンピック、パラリンピックでシンボルになれば、その前にもツアーの方が来ます。オリンピック、パラリンピックの前に、バスでやってきて、そういったシンボルをみて、そして東京に行く。そういった形で、この釜石というところが、きらきらきらきら、光っていくと思うんです。

先ほどのネイピアを、なぜ釜石にダブらせたかというと、ネイピアは奇跡の復興を遂げたんです。約80年前、1930年にニュージーランドに大地震があった。一番被害を受けたネイピアは壊滅したんです。十分の一の人が亡くなったんです。でも立ち上がって、計画的な街づくりをして、僕がいったときは、素敵な街になってました。アールデコ調の。
試合の合間、町のツアーがあるんです。僕は、町のツアーが好きで、どこでも参加するんですが、ネイピアでも参加しました。で、そのツアーの時に案内していたおじさんが、自慢されてました。ここでは昔、震災があった、津波被害があった、でも、壊滅したけどここまで復興した、どうだ、と。
そういったことに、おそらく、釜石が5年後に、あるんじゃないか、と。これからの街づくりの、シンボルになる、それが釜石の魅力、使命、そこにあるんじゃないかと思います。
その、おじさんが言ってたのが、おらがまちの人々はベリーストロングピープル、ということ。自慢しているんです。誇り。俺たちの街の、昔の人たち、すごかったんだぜ、と海外の人たちに言える。これが子どもたちの誇りとなってつながっていくんじゃないかと思ってます。

で、「お」は、おらがまち、の誇り。で、イベント呼ぶには熱が大事、「も」は、モチベーションです。イベント呼ぶには、いろんなことあってもチームワークですよ。チームワークのないチームが勝ったことはない。新日鐵釜石なぜ強かったかというと、おそらく、松尾さん、森さん、すごかったですよ。でもやっぱりチームワーク、あれがあったから7連覇です。「て」、鉄の結束です。で、「な」、何をするか、この釜石をどうしたいのか、30年後、50年後につながる街づくりを、皆さんで考えてもらう「な」です。で「し」は震災からの復興。あきらめない、と言えば安直ですが、がんばる、と言いづらいですが、がんばっていただく。これが僕の言いたかった、「お・も・て・な・し」です。おもてなし、ありがとう、ありがとうございました。

司会進行… 浜登寿雄氏
ありがとうございました。
これからグループディスカッションを30分くらいお願いしたいと思いますが、それぞれのテーブルで話していただくお題は、
1. こんなグランドが、スタジアムが、できたらいいな
2. こんな釜石に、鵜住居に、なったらいいな
3. ラグビーワールドカップが来たら、やってみたいこと
4. 2019年に、やっていたいこと、なっていたいこと
 についてです。

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~グループディスカッション~

~パネルトーク~

 司会進行…浜登寿雄
  それでは、代表者の方に、お名前、お住まいをお話いただきまして、各グループで話し合ったことをご紹介いただきたいと思います。

 A代表者(男性、70代)
 私、生まれも育ちも、鵜住居の両川、と申します。
Aテーブルでは、外人さんもおられたので、ウエールズのロビーさんもおられたので、インターナショナルな感覚で、どのようにラグビーワールドカップのグランドを実現していくか、話してもらいましたが、まとまるまでには至らなかったのですが、ほんとうに実現するんだろうか、と。さっきのネイピアの話もありましたが、鵜住居もマッチしてるんじゃないかな、と、復興に希望をもっていかなきゃいけない。
 前に聞いた70億か、50億という話からスタートしてまして、どうせやるなら、75億くらいからスタートしていこうということにしてました。

 

 B代表者(女性、50代)
 私はB班の岩崎昭子と申します。
私たちの班では、1.こういうスタジアムができたらいいなあ、ということで、ワールドカップ、オリンピックのためだけじゃなくて、常日頃、高校ラグビーの大会が、いつもできるような、今から、来年度中には、この釜石でできるような、今から準備を始めていただきたい、と。で、防災と生きる学びの場はいっしょなんじゃないかと。ラグビーは生きるための勉強がいっぱいつまってますので、今、釜石市が計画している東中学校、鵜住居小学校のところ、震災を経験して、そして生きる生き方を勉強する、そういうことを学べるスタジアムになればいいなあ、と。
2の、こんな釜石、鵜住居になったらいいなあ、というところは、まず、ラグビー人口を、子供のころから、高校生から増やさなきゃいけないと、そういうお話があったときに、私以上の年齢の方は、体育の時に必ずラグビーの授業があったぞ、と。授業にラグビーを取り入れて、釜石全体がラグビーのまちだと、そういう活動をしなきゃいけないと。
そして、こんな鵜住居になったらいいなあ、は、ラグビーワールドカップが決まることで、鉄道とか道路とか、人の交流拠点ができるだろう、と、そして、宿は、ホテルとか旅館に泊まるだけでなくて、私たち鵜住居は、ホームステイを、この橋野から鵜住居流域までやって、町内会、市民みんなで、世界中の人をおもてなしするホームステイの街をつくりたいと。一番の、おもてなし、は、私たちの気持ちがわかることなので、そういうホームステイしてもらう町内会になりなたいな、と。
そしてワールドカップが来たらやってみたいことは、洞口さんたちの写真を見ただけで、私たちは涙が出てくるんですね。涙を流して当時を振り返る私たちのように、今のこれからの子どもたちに、この感激を味あわせる、そういう町づくりを今からしてて、子どもたちにも、自分たちのルーツがラグビーだったと、釜石だったと、こういうことを成し遂げた自分たちがいるんだということを思わせるようにしたいので、自分たちは井戸を掘る努力をする人だ、と。井戸を掘る努力を一所懸命やって、こんこんと市民の気持ちが湧き出て、行政さんがリードをするのでなく、市民がリードをして、行政を引っ張って、それでいいんじゃないかと、まず、緑と海があるんで、それを見ていただこうと。
2019年にやっていたいこと、なっていたいこと。そういうルーツがラグビーの釜石市民ということで、そして英語をならって、世界中の人たちと楽しんでいたいという話をしました。

 

 C代表者(男性、50代)
 女将さんの後はやりづらいんですが、定内町に住む土肥です。私たちは、平田の方、大船渡の方、鵜住居に住んでいる方と話をしました。
こんなスタジアムできたらいいなあ、というのは、鵜住居の学校のグランドが新しくできるんですけど、狭いので、普段から授業とかで使えるようなグランドだったらいいなあ、というのと、個人的にはバックスタンドで旗ふれればいいので、できるだけ、防潮堤もかねたような高いスタンドができたらいいなあ、というのと、できれば、山田線というか、鵜住居駅からスタジアムまで遊歩道でつないでいただいて、津波が来ても通れるような遊歩道を学校までつくってもらって、幅を広くしてもらって、いつでも逃げられる、防災のスタジアムにしてほしい、というのと、大きなスタジアムだと維持費がかかるので、なるべく土盛りでつくってもらうようにすればいいかな、と思いました。
2.こんな鵜住居ですが、釜石のまちづくりもやってますが、鵜住居はスポーツを中心のまちづくり、トライアスロンもありますし、そういうまちづくりをやってもらって、盛んになって、鵜住居に帰りたいと思うようになればいいかな、ということでした。
ワールドカップが来たらやりたいこと、は、試合も見たいのですが、世界の人と交流したいとか、応援に来た美人さんに会いたいとか。各国の人が来ると思うので、それも有名な国じゃない、良く知らない国の文化とか料理とか、そういう交流がしたいということが、皆さんの希望でした。
最後、2019年はとりあえず元気でいたい。そのためには高血圧とか高脂肪とか、ちゃんと予防しなきゃいけないんですけど、スタジアムも出来てて、生活再建とか、住居とか、両方なってればいいなあ、というのが皆の本音でした。

 

 D代表者(男性、40代)
 大船渡から来た鈴木といいます。
こんなスタジアムが出来たらいいなあ、というのは、浜風が吹いて、強くて、ホームが断然有利というような、そこで浜千鳥を呑んで、サポーターの口の悪い方がいっぱいいて、相手がほんとうに嫌だなあと思うような、そんなスタジアムなら、うれしいです。
こんな釜石になってくれたら、は、ワールドカップをきっかけにグローバルな釜石になって、世界に、興味を持ってくれる子どもたちがたくさんでてくれたら、うれしいですね。
ラグビーワールドカップが来たらやってみたいこと、は、下のラグビーカフェで、すしバーの経営なんかやってみたい、と。
4.2019年にやっていたいこと、は、これはシーウエイブスが日本一になっててくれればいいなあ、ということでした。

 

 E代表者(男性、20代)
 釜石の緑川といいます。
1.2含めてですが、今、釜石は、子どもも大人も、広く遊べる場所がないので、まず、釜石、鵜住居含めて、遊びの場、交流の場、その不足を解消できるような釜石鵜住居になったらいいいな、と思います。学校の跡地につくるグランドが、それの解消になってくれればいいな、と思いました。
3.4の2019年にやっていたいこと、ラグビーワールドカップが来たらやっていたいこと、は、僕もラグビーをやっていて、テレビで見たような、あんなすごい舞台には立てないんですけど、あの舞台を、あのすごい試合を、生で見てみたいなあ、が一番で、あと、子どもたちにもいい機会だと思いますし、こうやって、復興して、何もなくなったところから、あんなすごい試合が、生で見れれば、復旧も復興も実感できると思いますので、そうなってほしいと思いますし、自分もその中の一人でいたいと思いました。

 

 F代表者(女性、10代)
 釜石に住んでいる畠山苗穂です。
こういうスタジアムがいいなあ、というのは、震災の体験を活かして、避難の対応ができる、そういうスタジアムがいいなあ、と思います。
こんな釜石、鵜住居は、スポーツを通して、子どもから大人まで、体を動かせる、そんな釜石鵜住居がいいなあ、と思います。
ラグビーワールドカップが来たらやってみたいことは、ワールドカップの雰囲気を、子どもと体験したいということと、ラグビーのおもしろさを、子どもに伝えていくということがでました。
2019年にやっていたいこと、なっていたいことは、ちょうど、私は2019年に20歳なので、ワールドカップに出ていたいです。

 

 G代表者(男性、40代)
 源太沢から参りました平松と申します。
我々は、こんなスタジアムができたらいいなあ、ということを中心に話し合いました。いわゆる仮設グランド、シンプルなものでいいので、選手のぶつかり合う音や、息づかいが、ばんばん感じられる、臨場感のあるスタジアムだったらいいなあ、ということでした。選手との触れ合いができるグランド、練習場もそうだといいなあ、ということでした。試合をするときだけでなく、普段から使える、周りにもいろんなスポーツができたり、グランド自体も多目的で、日常的に運動できて、みんなで語り合える場があったり、おらがまちの誇りにできる場所であればいいということでした。
そして、おらがまちのシーウエイブスが、2019年には、全県的、岩手だけでなく東北のチームになってたらいいなあ、と、そして盛岡のグルージャとも共通の課題があると思いますので、そういったところも、盛岡南球技場も盛り上げて、釜石と相乗できればいいなあ、ということでした。
2019年に釜石が岩手ラグビーのメッカになっているように、どんどん価値を高めていって、人を呼び込んでいきたいというような話になりました。

 

 司会進行…浜登寿雄
 各グループの代表者の方、ありがとうございました。それを受けまして、松瀬さん、総評を。

 ゲスト総評…松瀬学氏
 こういう話を聞くのが僕の商売でして、聞くというのは刺激になるんですよね。おもしろい。考える、こういう場というのが、非常に有意義だと思います。オリンピックで代表になる、それを思い描くのが、非常に価値があるんですね。毎日が楽しくなって、練習も、明日の朝から30分くらい走るでしょう。という刺激になると思います。
 話し合いの内容を、聞いてるだけで、わくわくしますよね。こんなグランド、スタジアム、これは皆さんで決めていっていただきたいんですけど、お金のかかるでかいスタジアムをつくる、あるいは、コンビニエントというか、安い、30億、70億、両方あります。
私は、いろんな国際イベント、オリンピック、北京の後とか見てきましたけど、やっぱり、でかいスタジアムをつくってきたところは苦労してますね。ランニングコスト、維持費、これはたいへんです。どこにウエイトを置くか。(ビッグイベントは)あくまでも、ひとつのきっかけというか目標であって、その後、30年、50年、いっぱい、そこにいろんな人が集まってきて、お金の負担が少ないような形がいいんじゃないかなと思うんですけど、これは結構、大きな課題なんで、皆さんで話し合って決めていただきたいと思いました。

 こんな釜石、鵜住居ですが、やっぱりスポーツをする場、これは格段に減ってきていますね。昨日、いくつかの街を取材しましたけど、確実に運動する場が減ってます。この運動する場を、スタジアム、スタジアムにはサブグランドも必要でしょう。皆さん、考えてらっしゃるとおりだと思います。そこで、出来るだけ子どもたち、子どもたちが運動する場がないと話にならない。
 昨日、大槌町にいって、学校で遊んでる子どもに、どうスポーツする環境は、と聞いたんですね。体育館がほしい、とか、グランドがない、どうすりゃいいの、と言ってました。皆さんが考えておられる通りです。
 そして避難道路をつくる、避難を意識したスタジアムをつくる、グッドアイデアですね。それなくして、ここのスタジアムはあり得ないんじゃないかなと思いました。

 ラグビーワールドカップが来たらやってみたいこと、いろんな意見が出ましたけど、僕は、すしバーに魅かれてしまいます。大好きだから。そういったことで市民がリードする。これはまさに、その通りでしょう 
何がいいといって、ワールドカップを呼ぶ意味、オリンピックを呼ぶ意味、これは生で一流プレーを見るということです。なんだかかんだ言っても、生で見ると、ファンになる。この感激ですね。一回、見て下さい。これは桜庭さんとかわかってる。生でプレーする。テレビで見るのは、あれは加工品ですから、カメラで映っているところだけ見ているんです。生だったら、ウイング走っていても、僕だったらプロップ見てますよ。何しているんだろうと。生のゲームのおもしろさ、というのを、ラグビーワールドカップがここに来たら、体験できることじゃないかと思います。

 2019年になって、やってみたいこと、なっていたいこと。これ、考えるだけで楽しいでしょう。やっぱり、その通りだと思うな。シーウエイブスに日本一になってもらう。おそらく桜庭さんも、これからたいへんでしょうけど、日本一、それを目指すところに、僕は意味があると思うんですね。
目標をつくって、皆さんがおっしゃていたように目標をつくって、そこに努力して、結果が出る、それが尊いんで、そういった意味で、ほんとにいいご意見を伺ったと思います。生きる力を感じさせていただきました。

 司会進行…浜登寿雄
 ありがとうございます。また松瀬さんの話を聞いて、大会成功したな、と思ってしまいましたが、

 ゲスト総評…松瀬学氏
 皆さん、だまされたと思って、スポーツ基本法を一回見て下さい。文部科学省のホームページにあります。2011年、震災のあった年に成立しました。スポーツ権、スポーツに接する権利、これは国民全部が持ってます、とうたってあります。スポーツ権をうたった理念法です。僕らは、皆さんは、スポーツに接する権利を持ち、国、地方公共団体は、それを提供する責務があるんですね。それは要求された方がいいと思います。市民がリードして、地方公共団体に、俺たちがスポーツする場がない、接する場がない、と要求していかれたらいい。一回、だまされたと思って、スポーツ基本法、短いですから目を通されたらいい。理論武装ですね。お偉方が東京から来るじゃないですか、そのとき、それってスポーツ基本法違反じゃないの、って言ったら、相手はうろたえますよ。そういうのを、今、聞きながら感じました。

 司会進行…浜登寿雄
 どうもありがとうございました。ほんと震災直後、3年前はここは何も無くなりました。ゼロ状態。それを世界大会を呼べるまでにしていこうと、熱い想いも伺いました。
今日、あらためて、この会に参加していただいた感想などを、もう一度、パネラーの方にお伺いしたいとの、せっかくですから松瀬さんに聞きたいことを、よろしくお話いただきたいと思います。

 

 G代表者(男性、40代)
 すっかり釜石誘致が決まったような雰囲気に飲み込まれてしまってますが、すごく皆さんの熱気、熱い思いが伝わってきたと思います。誘致は、正味この1年ですので、皆さんと一緒に釜石誘致にがんばっていきたいと思います。
 松瀬さんには、来年の3月に決まるスケジュールですが、時間がないような気がするのですが、時間はあるのかないのか、率直にご意見を伺いたい。

 ゲスト回答…松瀬学氏
 今、立候補する候補地の中で、スタジアムがないのはここだけでしょう。それは、ものすごいディスアドバンテージです。これを今からつくっていく。IRB国際ラグビーボードというのは、これつくれるの、っていう感じで、まずOKは出さない。それをひっくり返すのは、皆の熱意しかないですね。盛り上がる。絶対できるぜ、という。財政の裏付けも必要でしょうけど、皆にできるのは、もっと盛り上がっていけないかということ。自信を持っていただきたいんで、これは絶対にここでやるぞ、とね。招致には、はっきり言って足らない、もっと声を出した方がいい。どんどん言って。どんどん行動を起こせばいい。フェイスブックの「いいね」を押すといい。こういうのが大事。周りじゃ釜石でやってほしいんだ。でも周りがその気になっても、本人がその気じゃないと、結婚もできないですよ。本気でやってほしい。建設費とかは、やる人が本気で取り組んでます、寝る間も惜しんでね。で、なんとかなるでしょう。そんな気がします。

 

 F代表者(女性、10代)
 ラグビーワールドカップを釜石で開くのはいいと思いました。
質問は、私もスクラムを女子で組んでますが、どうやったらいいかと。
 
ゲスト回答…松瀬学氏
 一日、一回は下の洞口さんのスクラムマシーンに肩をあてる、というのは冗談ですが、スクラムは哲学ですから、考えた方がいいですね。力学、運動力学がもろに出ているんです。押せばいいってもんではないです。そして下半身を鍛える。ま、後で組みましょう。

 

 E代表者(男性、20代)
 松瀬さんから貴重な話を聞けて、様々な立場の人からも話を聞けたので、ほんとにいい機会になりました。
質問なんですけど、いろんな世界のスポーツをみてきた松瀬さんですが、これから釜石では2016年にいわて国体があり、2019年にラグビーワールドカップ、2020年に東京オリンピックがあります。これは準備が進んでいくものだと思いますが、スポーツの盛り上がりとしてはいい流れになっていますが、ここはスタジアムもないので、これから釜石がどうやってからんでいくのかな、と。

 ゲスト回答…松瀬学氏
 国際イベント来ます。これは失敗した例もあります。失敗した例は、そのときだけ頑張る。オリンピックの時だけ頑張っちゃう。北京なんか、会場は、もういくつかないですよ。ランニングコストかかるんで。でも、大事なのは普段の利用ですね。スタジアム。でかいイベントが三つ来るでしょう、でも、真の目的は、20年後、30年後、スタジアムがどんなに利用されてるの、ということ。ラグビーワールドカップ来るでしょう、5年後に。でも、真の狙いは、普段そのスタジアムあるいは周辺を使って、どんなに人が集まる場にしていくか。緑と海、街、みんな子どもたちが、きゃあきゃあ、言って集まるような空間をつくるというのは、今からでもできる。間にいろんなイベント持ってきてもいいと思います。トライアスロンも。スポーツじゃなくてもいい、AKBが来てもいいですから、握手会とか。的違いかも知れないですけど、普段のスタジアムが利用されるようなことを考えれば、今から、どんどんどんどん、やっていけば、そこの街が賑やかになるんで、そういう視点で考えていただくと、鵜住居、釜石が、笑顔というか、楽しい街になると思います。

 

 D代表者(男性、40代)
 今回、大船渡から来たのですが、大船渡も他人事ではない、どんどんいろんなところから発信して、いろんなところから盛り上げていければといいかなと思っていました。
質問は、僕はラガーマンじゃないんで、松瀬さんが、今まで経験した、取材した裏話とかあれば教えてほしいんですが。

 ゲスト回答…松瀬学氏
 ほとんど裏話しか取材してないんで。山ほどあるんで。後で個別いいですか。ここで言うと選手に失礼があるんで。ほんとに今はたいへんなんですよ。ネットで炎上しちゃうんで。我が家、火事だらけだから。

 

 C代表者(男性、50代)
 いつも応援団で、盛り上がってて、命かけて、そのために生きているんですが、ラグビーのお陰で、で、鵜住居に来ていいんだろうか、と思ってたんですが、今日、ここに来て、やっぱり前に進んでいいんだなって、いいんじゃないかな、みんなが幸せになる道もあるんじゃないかな、って思ったので、ぱっとやった方がいいなと思ったのですが。
質問は、いろんなアドバイスをいただいたんですが、みんなワールドカップの選考過程がわかってなくて、いろんな締め切りがいつだとかわかってなくて、みんなに伝わってないような気がするんですが、そういうとき、なんか伝える手段ていうか、こういうのが効果的ですよって、何かあれば教えていただければと思います。

 ゲスト回答…松瀬学氏
 選考過程、基準はIRBから出されてます。でもオフレコなんですね。この場では言えないんで。でも決まったときの、スタジアムの規模とか、もろもろとか、だいたいわかります。伝ええていく時は、ホームページなり、メールなり、新聞、ニュース、そういった形で伝えていくのが一番だと思いますけど、ただ、今回は、ラグビーの伝統国、8カ国、それ以外で初めての国ですよ、日本。はっきり言って、例外はあります。例外OKです。例外だらけ。これは、ここで一番重視するのは何かというと、ここでやればアジアラグビーはどう変わるんだ、ということ。途上国のラグビーどう変わりますか、というのを、釜石でやれば、こう変わるんだと、これだけ街づくりに影響与えるんだと、こういうこと。IRBのラパセ会長が、東京に来て記者会見しました。英語で雑談もしましたけど、彼らの期待しているのは、そこですね。いろんな事項はあります。スタジアムが1万何千人以上とか、もろもろ、どうのこうのとか、そういうの見たら釜石にはネガティブな要素ばかりですね。でも、なんとかなるような、そんな気がしてます。で、それを伝えるのは、メールなり、ホームページなり、地元の新聞、が発信の場だと。そういって交流していけば。どんな条件かわかりませんけど、でも、クリアしていけるんじゃないですか。

 

 B代表者(女性、50代)
前のタウンミーティングがあったときは、自分たちに自信がなくて、ほんとにいいのかな、という思いで参加させていただきました。今日、こうやって、皆様に、もう成功したみたいなこと言うね、って言われてますが、ほんとに、それだけ、自分たちの気持ちが変わってきているこの一年で。
で、日本にラグビーのワールドカップを持ってきた皆さんは、私たち以上に難関を乗り越えて持ってきて下さって、自分たちは、シャイだったり、ほんとに悩みの多い釜石市民なのに、これだけ、日本中の皆さんが応援するつながりで、それで、ここまで私たち立っているんだなあと、今日、松瀬さんのお話聞いてて思いました。
これを引っ張ってきたときに、皆さんで、どんな美味しいワイン飲めるのかなと、そんな気持ちにだけなってます。質問はありません。

 

 A代表者(男性、70代)
 ご存知の通り、鵜住居は津波の前も過疎現象おきてましたし、津波の後、最低レベルに落ち込んでおります。でも、今回のワールドカップを機会に、先程のウエールズのロビーさんと同じテーブルで、ロビーさんたちも2015年に、ロンドンでワールドカップを進めるんだそうです。で、今の鵜住居の様子を、どの程度、マッチングしているのかなと、関心をもって来られたらしいんです。でも、さっきも松瀬さんからご紹介されましたが、私たちの非常に貧しい部落、町、市ですが、やろうという気概だけはかなり持って、我々の町おこしを盛んにやっておりますから、その折に、こうしたワールドカップというインターナショナル、世界的な行事に参加できるという夢も持てるんだということを実感いたしましたもんですから、何がなんでも、皆さんと、ご協力をいただいてですね、実現できるように、我々も頑張りますけど、皆さんにも頑張っていただいて、そしてせっかくの人脈をお持ちの皆さんですから、松瀬先生にも、我々の知らない陰の人脈も含めて、応援いただけるようお願いいたします。

 ゲスト回答…松瀬学氏
 私の人脈は敵ばっかり。あまり僕から紹介されると逆効果かな、と冗談ですが。応援させていただきたいと思います。やっぱり自信を持つというか、成功した気分、これ大事なんですよね。勝とうと思ってないチームが勝つ試合なんてないんじゃないかな。勝つと思わないと。成功するでしょ。そんな気になりませんか、成功すると。じゃ、そのために何しましょうかということを、皆さんが考えていけばいいわけで、やっぱ「信は力なり」、私の尊敬する大西鉄之祐先生がおっしゃってましたね。その年の明治がむっちゃ強くて勝てるわけないと思ってましたけど、信じてたら勝ちましたね。そんなもので、ここであるでしょう、ワールドカップが。そう信じることがスタートです。
 で、お願いしたいのは、やっぱチームワーク。皆が一つになって、僕、こうやって地方にいって話をすることあるんですが、やはり、日本は、薄い。やりましょうよ、一つになって。鵜住居でやるんですが、釜石というか、周りの街もみんな応援して、どんどんどんどん、うねりをでかくしていって、あれ、釜石が最高じゃないの、というのをつくっていきたい。僕は、これ、日本の市町村の最大の欠点だと思いますね、そこだけやろうとする。そうじゃなくて、この釜石で流れを変えるというか、東北も、ワールドカップは釜石ですよ、というのを、つくっていただきたい。これは私のお願いです。
子どもたちが元気でる、自慢できるように記録しなければならない。僕は、記録だけお手伝いさせてもらいます。記録係として、ときどきやって参って、皆さんのお言葉とかを聞いて、子どもたちに伝えていくお手伝いをさせてもらいたいと思いますので、これから来た時も、冷たくせずに、よろしくお願いしたいと思います。

 司会進行…浜登寿雄
 松瀬さん、どうもありがとうございました。そしてパネラーの皆さん、ありがとうございました。お疲れさまでした。皆さんからご質問はありますでしょうか。よろしいですか。
 先ほどから、お話にありました信は力なりですね、そして情熱を持って、夢を持って前に進めば、その夢が実現、現実になるという松瀬さんからの熱いエールをいただきました。
 本日は、講師に松瀬さん、そしてお忙しい中、皆さんにおこしいただきまして、ラグビーワールドカップ2019釜石誘致応援タウンミーティングを開催させていただきました。
 本日はお付き合いいただきまして、誠にありがとうございました。
 以上をもって閉会とさせていただきたいと思います。