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活動報告

2012.03.17

「東日本大震災復興支援 大漁旗展」に参加させていただきました。

3月10日~18日に杉並区のセシオン杉並にて開催された「東日本大震災復興支援 大漁旗展」(大漁旗研究会様主催)へスクラム釜石も参加させていただきました。 ※「大漁旗展」HP : http://tairyouki.web.fc2.com/ スクラム釜石では、SWサポーター受付、グッツ販売、SWと大漁旗(福来旗)にまつわる写真の展示などを行わせていただきました。 3月17日には、スクラム釜石石山代表のトークショーも開催させていただきました。 ご来場いただいた方々と、主催者の「大漁旗研究会」の皆様に御礼を申し上げます。 ありがとうございました。 【スクラム釜石 石山代表のトークイベントの内容を抜粋して掲載いたします】

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皆さん、ラグビーってあまり知らないですよね? (「知ってます」「知ってますよ」の声が複数。) 我々は松尾さんと一緒に、1979年から1985年の全盛期にラグビーをやっていました。 その頃のラグビーとサッカーの観客数の違いを話しますと、ラグビーの(日本選手権決勝の)国立競技場は、通路までお客さんで埋まり、真っ黒で通路が見えないぐらい、聖火台の上まで人がいたんです。 いまは消防法に引っかかってこんなことはありませんが、入場者数7万5千人とも言われました。一方サッカーは、天皇杯というビッグゲームでも観客がまばらでした。 いまサッカーはにぎやかで、ラグビーは新聞でも滅多に見ない状況で、寂しいなと。 私たちが連覇していた頃、松尾がそのシーズンで引退か?という時期の半年間、何かあればとテレビや新聞といったマスコミが、しょっちゅう取り上げてくれて、新聞の一面を新日鐵釜石の記事が飾ったこともありました。 電通と博報堂が、新聞にとりあげられた記事を数字で見るとどの程度になるか、資産換算したんです。例えば、新聞で10センチ×30センチの広告だといくら、という感じです。 ①2000万円ぐらい、②2億円、③2百億円、どれだと思いますか? 当たった人には何かあげたいけど、今日は何も持って来てないなぁ。 250億から270億ということでした。それだけの宣伝効果があったかどうかは別ですけど、そのぐらい人気があったんです。 「石山さん、そんなに貢献してるなら、会社からもいっぱいお金を貰っていたんでしょ?」という人がいました。 優勝するとビールはガンガン、フォアグラのように飲ませてくれました。 新日鐵は社員を大事にしてくれる会社で、昇格させてもらったり、お金はくれませんが“強化”名目で、オーストラリアやニュージーランド、フランス、ソビエトなどに行かせてもらいました。 ニュージーランドのときは、なぜかハワイに寄り道、カナダのときはフランス・パリ経由とか、こういう計らいをしてくれました。 大漁旗展ですが、釜石では「ふらいき」と言います。気仙沼もそうだったと思います。 文字は「福来旗」とか、もうひとつは「富来旗」だったかな。 「たいりょうき」と言うと、後ろから「そんなんじゃねえ!」と叱られました。 初めて目にしたのは国立競技場で、日本選手権の5万~6万の観客の前で振って頂きました。 私たちは7年連続、国立競技場での決勝を戦いました。福来旗は最初から振られたのではなかったと思います。写真で見て検証が必要ですが、確か2連覇してから振られるようになった。 製鐵所には、釜石だけでなく大槌、宮古、山田などから来ている人が居て、実家から福来旗を持って来てくれる人があったんです。 ○○丸と書かれていて、試合にふさわしいなと思ったものです。この船の名前、後になってわかったんですが、何だったと思いますか? 初めて振られたのは「優勝丸」で、わざわざ捜して来てスタンドで振ってくれた。 我々は試合をやっているので、船の名前までわからず、後で会社の新聞とかを見て「そうだったのか!」と知ったのです。何年か続けて、この「優勝丸」」が振られたはず。 震災で福来旗も流されました。瓦礫の下に埋もれたのを捜し出して、シーウェイブスにも何枚も送られて来ました。 それまでは、応援で振ってくれるという程度の思い入れしかなかったのですが、今回1枚の重さを知りました。だから、こんなふうに喋る資格はないんですけど。どれだけの思いを込めて作られているか、現地の人たちの思いを知りました。 このような震災があって、私も何かの役に立ちたい・・・と。 ラグビーを32歳で辞めてから、全くラグビーには関わって来てませんでした。現役の頃、やり過ぎまして、後はコリゴリ・・・と。 後で聞いた話ですが、その頃どこそこの会社から「石山さんに監督をやって欲しい」という話があったそうで、私の会社の総務が全てハネていたというのを、5~6年後に聞いたんです。私の技量や性格を見抜いていたのだと思います。 私は人に指図するより、プレイヤーなんです。 震災から2週間後に、現地に行きました。 写真というのはただ状況が写っているだけ。現地に行くと、声を失う。風景がわからない。昔は、そこを何歩行くと何の店かわかっていたのに。 瓦礫といっても、ついこのあいだまでは「生活の一部」だったものです。ゴミ、瓦礫という以外に適切な言葉が見当たらないから、言いたくないけど使っている。 現地の空気・風・匂いを嗅いで来ると、ラグビーで釜石の人たちに世話になってきた自分が役に立つならと思い、ラグビーを応援してくれるならお願いします・・・と。 この大漁旗展のような、こういうところの支援もありがたいですが、ぜひ現地を見て欲しいです。いまはもう匂いがないから、感じにくいかも知れませんが、現地へぜひ。